創造と破壊。
いや、破壊と創造か。
歴史上幾度なく繰り返されてきた新陳代謝。
果たしてどちらが先なのか。
新しいものを生み出して、古いものを壊していくのか。
それとも、古いものを壊して、新しいものを生み出していくのか。
この記事を読んでそんなことを考えた。
革新のその前にあるものとは一体何なのか?
若新 雄純:慶應義塾大学特任准教授/株式会社NewYouth代表取締役
「NEET株式会社」や「鯖江市役所JK課」はご存知でしょうか。一度耳にしたことがあるという人もいるかもしませんね。これらの実験的な政策やプロジェクトを多数企画・実施している人が若新さんなんです。人・組織・社会における創造的な活動を模索する研究者・プロデューサーとして活躍中。
脱ぐ力と書いて、「脱力」
新しいものを生み出すために必要なものとは何なのか?そこへの一つのアプローチとしてこの脱力なんでしょう。現代は日々目まぐるしく変化している。時代の潮流は勢いを増し、様々な方面で今までの常識を飲み込んでいる。
そんな中で、模範解答を探していてもしょうがないと思うわけで。学校の勉強じゃないんやから、公式など存在するはずもない。間違いを嫌わない。何をするにしたって、失敗なんてついてまわるもんです。それを拒否するということは、成長したくないと言っているの同じ。
あれやこれやと考え、悩みながら間違いながら試行錯誤をしていくこと。変化を受け入れてそれを楽しもうとすること。ほんの少しの心の持ちようで、その後にものすごく大きな差がつくんやろなー。
問題と自分自身との距離感
社会に出て痛感したこと、それは「決まった正解がない」ということなんですね。いや、まあ、職種によってある程度はあるのかもしれません。でも、大概の場合は「今までこうやってきたから」というのが多い。そして、そのほとんどがまともな検証もされずに言われるがまま妄信されている。
これは会社が持つ組織構造の問題かもしれへんのやけど、変化を促す主張は黙殺されがちな感が否めない。それこそ、いつかのドラマでも言っていましたが、事件は会議室じゃなくて現場で起こってるんですよね。なのに、机上の空論を振り回されても現場の人間は困るわけです。
もちろん、机上での分析が必要なときもあるんやけど、それをする大前提として現場を見ておく必要があると思うんです。記事の中にも書いてありますが、
自分自身が、問題の一部になる
この感覚は指示や指導をする立場の人間は心得ておかなあかんなと。生身の人間同士、感情のないコミュニケーションでは問題の本質はつかめないんじゃなかろうか。距離感をつかむ、これは仕事でも人間関係でも重要なスキルやと感じる今日この頃。
最後に・・・
なんでもかんでもすぐに答えを求めない。これに尽きると思うんですよ。
せっかく賢い頭があるのに、それをよう使いもせんと人から与えられるものばかりを頼りにしてしまう。それではいつまで経ってもイノベーションは起こらない。
大人も子どもも、もう少しだけ自分の頭をひねって考えるようにしたいもんです。特に大人はね。子どもは大人を見て大きくなるんやから、身近な大人が手本にならなあかんのとちゃうかなー。
そういう大人になりたいと思う。
それではこの辺で。